でもね――と言葉を切った。
 そのままそっと目を伏せる。まっすぐ相手のそれを見ることができない。
 深く深く息を吸い込み、口を開く。続けるにはそれなりの覚悟が必要だった。
「いつか必ずその日は来るのよ。失うのは、怖くないの?」
 残されるのも――と小さく付け加える。
 ようやく紡げた言葉は、かすかに震えていた。

 静寂が、訪れる。
 それは一瞬のようにも、ひどく長い時間のようにも感じられるものだった。

 すっと相手が顔を上げた。
「怖くない――そう言えたらどんなに素敵でしょう。でも、私は臆病だから言えません」
「なら――」
「――でもね」
 こちらの次の言葉を待たず、彼女は口を挟んだ。相手の発言をさえぎってまで言葉を継ぐ彼女を初めて見た。
 紫水晶と緑柱石の双色の瞳に強い光が宿る。
「いつ来るとも知れないその日の影に怯えて、差し出された手を拒絶するのはもっと怖いから」
 決然としたその声。 

「だからあのひとと一緒に居たいんです」

 迷いのない答えはとても力強く響いた。

 細い指先で髪を耳にかけ、彼女は静かに微笑んだ。薬指に微かに光る、銀の環。
 その陽だまりのような微笑みを視界に捉えて、初めて気づく。
 ああ、この子は強いのだ。自分が思っていたよりもずっと。
 
 そして。

 ――いつか来るその日に怯えているのは、自分の方なのだということにも。



   
たまたま私たちの持つ時計の針が遅いだけなのですよ、と花嫁は笑った。