書き終えた式が端から捲り上がる。文鎮を乗せ、侘助は緩慢に伸びをした。途端、肩で軋む鈍い音。随分と凝り固まっていたらしい。
 瞳を絞ると、透明な風の起点に黒い大きな塊が転がっている。穏やかな寝息を立てるそれは春の陽射しを受け留めているからか、輪郭が常よりも柔らかい。規則正しく上下する腹は、大層立派だ。
 はらり。ほの白い花びらが風に誘われ、墨塗りの背へ、腹へ、そして縁側へ降る。
 水墨画の如き光景は彼に閃きをもたらす――
「長命寺食べよう」
 塊の耳がぴくりと跳ねた。
「おい。独り占めは許さん」
 唸りながらポチ左衛門が起き上がる。
 餅に似た腹に降る桜色の水玉模様も、侘助が戸棚に隠した円筒型の秘密も東風と共に吹き飛んだ。



東風吹かば





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